天にある宝 from Mustard Seed Osaka on Vimeo.

スモールグループの勉強:マタイ6:19-21,24を読みましょう。「[19] 自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。[20] 自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。[21] あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。… [24] だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。

あなたは、どのような地上での宝を貯めるように過度に誘惑されますか?
(例:家電製品、車、服やアクセサリー、所有物、娯楽など)

自発的な寛大さと、計画された戦略的な寛大さは両方とも重要です。あなたは戦略的に与えるための毎月の計画を持っていますか?
あなたが最近後悔した買い物はなんですか?
あなたは神様へお金を捧げることを後悔したことがありますか?

マタイ6:25-34を読みましょう。「[25] だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。[26] 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。[27] あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。[28] なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。[29] しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。[30] きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。[31] そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。[32] こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。[33] だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。[34] だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」
あなたはどんなことについて一番心配していますか?(お金、健康、災害、人間関係?)
1から10で測った時に、あなたは自分の財政状態についてどれくらい心配していますか?

私たちが全員生きてスモールグループに今参加できているということは、神様が常に私たちを今まで養ってくださっているということを意味しています。私たちが何かを心配するとき、私たちは、「今まで養ってきてくださった」神様が将来は自分を養ってくださらないのではないかと思っていることになります。
マタイ6:26が意味することは、鳥たちが餓死することはないという意味なのでしょうか?さらに、クリスチャンには害が及ぶことはなく、クリスチャンは食べ物を欠くことが無いということを教えているのでしょうか? ー いいえ、そうではありません。この箇所は、もし最悪の事態がわたしたちに起きたとしても、神様は、わたしたちがこの人生の中で耐えるであろうどんな苦難を償って余りある永遠の命と喜びによって、わたしたちを気にかけてくださる方法をお持ちであるということを意味しているのです。  第一テモテ6:17-19を読みましょう。