イエスと共に歩む : 盲人の変容 from Mustard Seed Osaka on Vimeo.

スモールグループのレッスン:
「イエスへの信仰」は人生を永遠に変えます。ルカ18:35-43で出てくる盲人は、絶望的で道端に座って物乞いをするだけから、新しく、希望に満ち、イエスを見て従うことが出来る人へと変えられました。同じように、キリストにある私たち皆は、新しい創造物へと作られています(第二コリント 5:17)  
質問:キリストに出会う前と、キリストにあって人生が作り変えられた後をそれぞれの1語で表現してみてください。  

ルカによる福音書18勝35〜43節 イエスがエリコに近づかれたころ、ある盲人が、道ばたにすわり、物ごいをしていた。群衆が通って行くのを耳にして、これはいったい何事ですか、と尋ねた。ナザレのイエスがお通りになるのだ、と知らせると、彼は大声で、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください。」と言った。彼を黙らせようとして、先頭にいた人々がたしなめたが、盲人は、ますます「ダビデの子よ。私をあわれんでください。」と叫び立てた。イエスは立ち止まって、彼をそばに連れて来るように言いつけられた。彼が近寄って来たので、「わたしに何をしてほしいのか。」と尋ねられると、彼は、「主よ。目が見えるようになることです。」と言った。イエスが彼に、「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを直したのです。」と言われると、彼はたちどころに目が見えるようになり、神をあがめながらイエスについて行った。これを見て民はみな神を賛美した。  

盲人は社会規範に反し、イエスに向かって大声で叫びました。彼は群衆にどう思われるかを考えず、イエスに出会うためなら喜んでなんでもしたくてたまりませんでした。  

質問:社会のためにイエスに情熱的に従い、礼拝するのを妨げられたり、恐れを感じたことがありますか?それはいつのことでどのようなことでしたか? 
質問:社会への恐れを克服するためになにを考える必要がありますか?  

盲人の信仰は堅忍する信仰で(彼は信じ続けました)、彼はイエスが救い主(「ダビデの子」)であること、そしてイエスが自分自身を癒すことが出来ることを確信していました。 聖書は、私たちが試練や誘惑、そして迫害に遭ったとしても、救われるために信仰のうちにとどまらなければならないと明確に述べています。イエスは「また、わたしの名のために、あなたがたはみなの者に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。」(マルコ 13:13)と言われました。  

コロサイ 1:21-23「あなたがたも、かつては神を離れ、心において敵となって、悪い行ないの中にあったのですが、今は神は、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。それはあなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせてくださるためでした。ただし、あなたがたは、しっかりとした土台の上に堅く立って、すでに聞いた福音の望みからはずれることなく、信仰に踏みとどまらなければなりません。この福音は、天の下のすべての造られたものに宣べ伝えられているのであって、このパウロはそれに仕える者となったのです。」  

質問:あなたが自分の生活の中で今すぐに悔い改めなけれなばならない罪深い習慣、癖はありますか?  

クリスチャンの人生は、わたしたちが死後にイエスと会うか、彼が先に来るまで続く「信仰の戦い」です。 第一テモテ 6:12-14「[12]信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました。[13] 私は、すべてのものにいのちを与える神と、ポンテオ・ピラトに対してすばらしい告白をもってあかしされたキリスト・イエスとの御前で、あなたに命じます。[14] 私たちの主イエス・キリストの現われの時まで、あなたは命令を守り、傷のない、非難されるところのない者でありなさい。」  

わたしたちはこの戦いを自分自身の努力を信頼して勝とうとはしていません。わたしたちはイエスキリストにとどまり続ける必要があります(ヨハネ15:1-5)。わたしたちはイエスにとどまり、彼の教会と繋がり続ける必要があります(ヘブル 10:25とNext Step6参照)。神との祈りによる(Next Step2参照)、そして神の言葉(Next Step3参照)を通しての生き生きとした関係も必要不可欠です。  

質問:どれほどキリストを信じており、信仰のうちにあって耐え忍ぶために何をしていますか?  

わたしたちは、神の恵みによってのみ、神は私たちの信仰を終わりまで保って下さり、またそれによってのみ、私たちは完璧に神の栄光を携えた者になることができると確信しています。 Jude 1:24-25「[24] あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びをもって栄光の御前に立たせることのできる方に、[25] すなわち、私たちの救い主である唯一の神に、栄光、尊厳、支配、権威が、私たちの主イエス・キリストを通して、永遠の先にも、今も、また世々限りなくありますように。アーメン。」