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今週のスモールグループ

スモールグループは私たちがクリスチャンとして神様の聖書を従うこと、そして、神様の使命を行うことという2つの分野において成長するために作られました。

神様の聖書

みなさん、私たちは近日中に「マタイによる福音書の読書計画」をはじめます。10ヶ月のマタイの福音書の学びを締めくくるにあたって、スモールグループ全体でもう一度この福音書を読み、イエスについてなにを学んだかじっくり考えてみましょう。

マタイの福音書 26:36-46を読みましょう
[36]それからイエスは弟子たちといっしょにゲツセマネという所に来て、彼らに言われた。「わたしがあそこに行って祈っている間、ここにすわっていなさい。」[37]それから、ペテロとゼベダイの子ふたりとをいっしょに連れて行かれたが、イエスは悲しみもだえ始められた。[38]そのとき、イエスは彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、わたしといっしょに目をさましていなさい。」[39]それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」[40]それから、イエスは弟子たちのところに戻って来て、彼らの眠っているのを見つけ、ペテロに言われた。「あなたがたは、そんなに、一時間でも、わたしといっしょに目をさましていることができなかったのか。」[41]誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。[42]イエスは二度目に離れて行き、祈って言われた。「わが父よ。どうしても飲まずには済まされぬ杯でしたら、どうぞみこころのとおりをなさってください。[43]イエスが戻って来て、ご覧になると、彼らはまたも眠っていた。目をあけていることができなかったのである。[44]イエスは、またも彼らを置いて行かれ、もう一度同じことをくり返して三度目の祈りをされた。[45]それから、イエスは弟子たちのところに来て言われた。「まだ眠って休んでいるのですか。見なさい。時が来ました。人の子は罪人たちの手に渡されるのです。[46]立ちなさい。さあ、行くのです。見なさい。わたしを裏切る者が近づきました。

この一節の中で、2つのことに注目してみましょう。「杯と祈り」

マタイの福音書 26:39

それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」

説教の中で私たちは杯は「神の御怒り」と表すと学びました。この考えはどこから来ているのでしょうか?少し深く掘り下げるために、杯が神の御怒りと描写されている聖書の一節を読みましょう。

詩篇 75:8
主の御手には、杯があり、よく混ぜ合わされた、あわだつぶどう酒がある。主が、これを注ぎ出されると、この世の悪者どもは、こぞって、そのかすまで飲んで、飲み干してしまう。

イザヤ書 51:17
目覚めよ、目覚めよ/立ち上がれ、エルサレム。主の手から憤りの杯を飲み/よろめかす大杯を飲み干した都よ。

エレミヤ書 25:15–16
[15] それゆえ、イスラエルの神、主はわたしにこう言われる。「わたしの手から怒りの酒の杯を取り、わたしがあなたを遣わすすべての国々にそれを飲ませよ。[16] 彼らは飲んでよろめき、わたしが彼らの中に剣を送るとき、恐怖にもだえる。」

(質問)いつ・どのようにイエスは神の御怒りの杯を受けられたでしょうか?また、なぜ受けられたのでしょうか?

十字架の上でイエスが神の御怒りを受けたことについて、神学者であるJ.I.パッカーがどのように言っているか読んでみましょう。
キリストの死は、私たちを神と和解させるための神ご自身による行為であり、私たちの罪が引き起こした神の敵意を取り除く行為であった。(ローマ 5:10、第二コリント 5:18–19、コロサイ1:20–22)。十字架は神をなだめた(すなわち、私たちの罪を償い、そうすることで神の目から私たちの罪を取り除くことによって、私たちに対する神の怒りを消し去った)ここで重要な聖書箇所は、ローマ人への手紙3章25節、ヘブル人への手紙2章17節、ヨハネの手紙第一2章2節と4章10節であり、これらのどの箇所においてもギリシャ語はなだめを明確に表現している。十字架はこのようななだめの効果を待っていた。なぜなら、キリストはその苦しみにおいて、私たちが受けるべき報いとしての裁き、(「法律ののろい」。ガラテヤ3:13)を私たちの身代わりとして耐え忍ばれた。私たちを責め立てる私たちの違反の記録は、神によって十字架に釘付けにされた。私たちの債務証明書に書かれた罪のために、キリストは死なれた(コロサイ2:14、マタイ27:37、イザヤ53:4-6、ルカ22:37)

私たちがイエスに信仰があれば、神の御怒りから私たちは救われます。イエスに信仰がない人はどうなるでしょうか?

ヨハネ3:36
「御子を信じる人は永遠の命を得ているが、御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる。」

私たちはイエスが私たちを神の御怒りの杯から救ってくださったことに感謝し、そしてほかの人たちも救われるためにイエスを信じるように導かなければならない。

祈り

イエスは大きな重圧と試練の中にいたとき、祈りの中で神に手を差し伸べた。

(質問)困難な時期に祈りの中で神に手を差し伸べたような経験はありますか?どんな話ですか?

(質問)グループの中でどなたか、いま耐えている困難なことについて祈りを必要としていますか?もしそういった方がいれば、いまそのことについて一緒に祈りましょう。

神様の使命

ローマ 1:16 「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。」

私たちが福音を伝える時、単なる言葉をもって説得しようとはしません。それはまるで町一番のレストランについての誰かの意見を変えさせようとするようなものです。それよりも、福音を伝えるなかで、神の力が人々の心と思いを開かせるように働いているのです。あなたが福音を伝えている時、あなたは相手の心に神様が育ててくださる強力な種を植えていることになるのです。

第一テサロニケ1:5, 2:13「なぜなら、私たちの福音があなたがたに伝えられたのは、ことばだけによったのではなく、力と聖霊と強い確信とによったからです。また、私たちがあなたがたのところで、あなたがたのために、どのようにふるまったかは、あなたがたが知っています。… あなたがたは、私たちから神の使信のことばを受けたとき、それを人間のことばとしてではなく、事実どおりに神のことばとして受け入れてくれたからです。この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いているのです。」

福音を伝えるとき、勇気を持ちましょう。その勇気はあなたの人間的な知恵をもって人を説得する能力によって制限されるものではありません。神様は強力な方法で働いておられ、私達は見ることはできません。  

互いに励まし合いましょう: あなたが誰かにキリストを伝えるために、神はどのような機会を与えてくださいましたか? 

あなたがキリストのもとに導きたいと思っている人に対して、神はどのように働きかけられておられますか? 

互いのために祈りましょう: あなたがキリストのもとに導きたいと思っている人のうち、少なくとも1人の名前を分かち合いましょう。その人がもう一歩キリストに近づくことができるように、あなたが次にしようと思っていることがはっきりしていれば、それを分かち合いましょう(例:教会に誘う、夕食に招待してあなたの証を分かち合う、ファースト・ステップの学びを一緒にする、聖書またはクリスチャン書籍をプレゼントするなど)。 

互いのために日々祈るようにしましょう。(1)大胆さと知恵が与えられるように。(2)良い機会が与えられるように。(3)相手の心が開かれるように。 

他の祈りの課題:

何か祈って欲しいことはありますか? 

神の使命と、その他の祈りの課題、感謝していることについて、共に祈りましょう。